映画「私をスキーに連れてって」に代表されるように、かつてゲレンデには男女の出会いがあふれていると信じられていました。とんねるずのねるとん紅鯨団でも冬にはスキー企画があり、スキーがうまい男子は一目置かれていました。
それで、三上博史のようにスキーがうまくなれば必ずモテるだろうと、イケメンに生まれたわけでもなく、金も身長もさしたる特技もない筆者は雪山を目指したのです。そして行き着いた先には、一体が待っていたのでしょうか。
1990年代前半
大学の体育でスキーが必修だったため、アルペンで道具を一式揃え、牧場でハイクアップしながらボーゲンを習っていました。
慣れてくると当然ゲレンデに行きたくなるもので、友達の運転でスキー場に連れて行ってもらっていましたが、女の子たち同伴で滑る機会が多かったものです。このとき人に教えられるくらい上手だったらモテていたかもしれませんが、到底そんなレベルではありませんでした。
あまりにも下手な自分に嫌気がさして2年ほど中断していましたが、バイトの関係でシーズン券が手に入ってからは毎日のようにスキー場に通うようになりました。ショートターンができるようになり、コブ以外ならどこでも滑れるようになったのですが、この頃には後輩か一人で行くのが常となっていました。
1990年代後半
長野オリンピックのジョニーモズリーに憧れ、徐々にコブを滑るようになったほか、飛びに興味が湧いて360の練習をするようになりました。サロモンのテンエイティのおかげで360が身に付きました。
就職し、週末の休みをフルに使って同僚と滑りに行くようになりましたが、このときすでに女子率はほぼゼロ。
2000年代前半
当時東北では猪苗代にしかなかったウォータージャンプに足繁く通うようになってからは、フリップ系の技を覚えてはゲレンデで投入していました。
ゲレンデにパークができるようになったのはこの頃で、当時720とかフリップを見かけることはあまりなかったので目立ち度は高かったと思われます。パークでは知らない人にコツなど聞かれることも多かったです。
雪山とは無関係の女性と結婚したのがこの時期。スキー修行と称して2か月ほど白馬にこもった時期もありましたが、上手な人に囲まれて目立つこともなく、モテる気配など皆無でした。
2000年代後半
子供もできたのにスキー熱は加速し、オフトレーニングにも取り組むようになって体脂肪率は驚きの1桁台。モーグルのB級公認大会にも出るようになりましたが、良い時でもわずかに予選通過には届かずといったレベルでした。
転職後は周りにスキーする人もおらず、一時期所属したスキー協会は水が合わず、すっかりヒトリストが身に付きました。スキーと女子が結びつくなんて考えはとっくに吹っ飛んでいたような。
2010年代前半
子供が育つにつれ遠くのスキー場へは行けなくなり、近場のローカルスキー場で済ますようになってきたおかげで、いろんな人に話しかけられるようになりました。
プチキッカーで360でもすればリフト係のおばちゃんに「オリンピックみたい」と言われたり、コブを降りてくれば下でおじさんが待ち構えていて指導を仰がれたり、結構人気がありました。しかし、その中に、女子は、いません。
2010年代後半
子供たちがスポーツ少年団に入ったことで、なかなか滑りに行けなくなってしまいました。
体力が落ちてきている気がしながらも、まだ伸びしろを感じながら滑り続けていました。いつかモーグルで現役復帰を!という夢をいまだに引きずっています。
スキーはうまくなっていきますが、一緒に滑りに行った娘の友達に「うまい」と思われる程度のモテ度だろうと思われます。
そして現在
あいかわらずのぼっちスキーで、コブと飛びが大好きです。
ファットスキーでツリーランなんて楽しさも覚え、ますますスキーが好きになる一方ですが、女子との接点は相変わらずまるでなし。年齢的なものもあるでしょうが。
結論
スキーは仲間を増やしてくれました。また、周りの人ができないことができたり、やっていないことをしていたりすると、人に話しかけられる機会も増えていきます。そういう意味では、うまくなればモテるといえるのだと思います。
しかし、スキーにのめり込むほど確実に女っ気はなくなり、同じような道をたどってきたマニアとのディープな世界に陥っていくので、まことに遺憾ながら
うまくなるほど、女の子にはモテないだろう
というのが筆者のたどり着いた結論ですが、皆さんはいかがですか?
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